房総ドライブ…その2

夏の高校野球の地区大会も佳境に入ってきていますね。

ももとあやめのよく散歩に連れて行く公園にそれなりに立派な野球場がありまして、
そこで、なかなか感慨深い光景を見たんですよ。

試合が終わって球場の外で車座になってミーティングをしている高校球児がおりました。
日焼けをした一人一人の顔を見ると涙のあとが…

で、少し離れたところに同じユニフォームを着たグループが道具の片づけをしながら、同じ学校の女子生徒と談笑をしておりました。

ここで察しが付くでしょうが、前者はレギュラーとして試合に出ていた生徒。
後者は2軍(補欠)の生徒。

みんなして落ち込んでしまうのも悲しいことですが、あまりにも極端な温度差に最近の高校生って、ドライなんだなぁ…って。


さて、友人との房総ドライブの続きですが、最初の目的地の『久留里城址』へ。

『久留里城』は…
室町時代に上総武田氏の武田信長(真里谷氏の始祖)によって築かれた山城。
戦国時代に里見氏の拠点となり、対北条氏の最前線を担う。
江戸時代には久留里藩の藩庁として再整備され、近世城郭として明治維新で取り壊されるまで続くという歴史があります。

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久留里城址周辺は自然公園として整備され…
駐車場から長い坂道を日ごろの運動不足を痛感しながら上がると、二の丸跡が見えてきます。
二の丸跡には君津市立久留里城址資料館があります。
館内は写真撮影禁止なのですが、久留里城周辺の郷土の風習・歴史や、城と武士のかかわりなどについて展示されています。

展示もなかなか良かったのですが、二の丸跡の展望台から見る景色…

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本当に絶景です。
二の丸から少し歩くと、天守閣跡があります。

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で、ここで疑問に感じませんか?

久留里城は標高約140メートルの山頂にある山城。
敵の発見や籠城戦にや有利ですが、水の確保が大変ではないかと…

ところがこの疑問は簡単に解けることになるのです。

久留里城は別名『雨城』・『霧降城』というくらい雨が多い地で…
山の上にもかかわらず、

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湧水がたくさんあるので戦略拠点として機能し、長きにわたり利用されてきたのでしょうねぇ。

写真は男井戸・女井戸であります。

帰りは下り坂。
転がるように坂を下りて次の目的地「大山千枚田」へと向かいます。




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この記事へのコメント

2015年07月19日 16:00
高校球児は一軍も二軍もなく皆で分かち合うって
勝手に想像してました~
歴史は皆目分からないのですが
建物には興味があります お城って美しいですよね
さて次の目的地も楽しみです
ロンパパ
2015年07月22日 09:03
おはようございます。ルーシーママさん。
自分が高校時代の時を振り返ると野球部のメンバーはみんな悔しがっていましたけどねぇ…(いつも初戦敗退でしたが)
現在の久留里城は鉄筋コンクリート製で本来の位置より若干南側に移されています。
スタイルは江戸時代の地方の城の標準的な作りを採用したそうですよ。
文殊
2015年07月27日 14:48
山城はイイですね~♪
久留里城は土塁や切通がたくさん
現存しているんですよね。
一度訪れてみたと思っていました。
ただ・・・夏場は避けたい。今年の夏も暑すぎです
simatoki
2015年07月28日 14:11
こんにちは。
千葉のお城は大多喜城のほかにも沢山あったんですね。ちょっと調べたらビックリ。
ロンパパさんのように歴史に詳しかったら城めぐりも楽しいでしょうね。
ロンパパ
2015年07月29日 09:53
文殊さん、おはようございます。
木に隠れてよく見られませんでしたが土塁が確かにたくさんありました。
眺めもいいので、ぜひおすすめなんですけど、確かにこの夏の暑い中では行くのはちょっと…
ロンパパ
2015年07月29日 09:58
simatokiさん、おはようございます。
千葉・房総半島は東京湾の入り口ということで、防衛拠点であちらこちらに城址がありますね。
里見氏の改易は外様大名であった里見氏が江戸の入り口である房総にいることに不安を覚えた徳川幕府の策略であったと言われていますね。

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